FX投資実録ブログ~相場観ゼロでも不労所得~

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自己満投資コラム~アンテナを高く保つこと~



たまに、500円玉貯金をしていると大きな声で周りに自慢している人がいる。
 
 
「どうだ、オレは堅実に貯金をしていて偉いだろ!!」
 
 
私と同じ部署の先輩がそうである。
ご飯を食べに行ってもわざわざ500円玉でお釣りが返ってくるように支払いをする。
そして、今日はこれで4枚目だと満面の笑みを浮かべる。
 
 
あまりにも500円玉貯金をしすぎて、給料日前には現金が財布からなくなり、
 
「すまん、金貸してくれ。」
 
 
私は1万円札を渡しながら思う。アホだ。
 
 
貯金をしているがために現金がなくなってしまうということももちろんそうだ。
だが、私がそう思うのには別の理由がある。
 
 
彼はお金を現金で眠らせているからだ。
お金は現金で眠らせてしまえば、まさに宝の持ち腐れだ。
場所を取ることはあっても、増えることはない。
 
 
今の時代、超低金利時代と呼ばれているものの、銀行預金をすれば自動的に少なからず金が勝手に増える。
ネットバンキングならもう少し金利は高くつく。
 
 
例えば年利0.2%のネットバンキングなら、100万円預けておけば来年には2000円増えている計算になる。
 
 
私の勤める会社の財形貯金では、年利2%がつく。
累計額が100万円になれば、その翌年には2万円増えているはずだ。
 
 
世の中には、それまで知らずにいたことも、調べてみたらもっと便利で価値があり、得をする情報がいくらでもある。
要は、アンテナがどこに向いているかの問題だ。
 
 
私の先輩にとって、「お金」のアンテナは500円玉貯金にしか向いていない。
もしかしたら彼の目的は貯金ではなく、単なる500円玉集めなのかもしれない。
 
 
もう少し「お金」のアンテナを高く張っている人は財形貯蓄をするだろう。
もっと高い人は投資信託や年金保険なんかも個人的にやる。
 
 
将来を見据え、少しでもお金を増やそうとすることは素晴らしいことだ。
会社を定年退職した後にお金で困らないように今から少しだけ生活を切り詰めて、何十年後かの安心に投資する。素晴らしいことだ。
 
 
計画的に物事を進める人が私は大好きだ。
知性を感じるし、参考にしたいとも思う。
 
 
だが私にとって、老後のために今やりたいことを我慢して生きるのは、あまり参考にしたいとは思わない。
いつ死ぬかもわからないこの人生、自分が老人になるまで我慢し続けるなんてまっぴらごめんだ。
 
 
定年してから悠々自適に暮らすつもりだという人はどういうつもりだろうといつも思う。
60歳まで働くとして、引退したその先に手に入るのは有り余る時間と、その時間を若いころのようにエネルギッシュに使うことなど到底できない老いた身体だけだ。
いろいろ挑戦したくても、選択肢は限られてしまう。
それに、外見の魅力というのも完全になくなる。
目の前にいい女がいたとしても声をかけるのは憚られる。
老後に楽しみを持つとは、若いころにしかできないことを捨てるということでもあるのだ。
 
 
老後にやりたいことをするのだと意気込む人たちはこれらのことを理解していない。
理解していないというよりも、老後についての考え方のアンテナが低いのだ。
彼らにとっては、世の中で良いと言われている老後への貯金が最優先のアンテナであり、唯一のアンテナなのだ。
60歳を過ぎた自分に本当に残されるのが何なのかを、もっと深く考えることは決してない。
そもそも、自分たちが60歳くらいまでは必ず生きることができると信じているのがおかしな話だ。
言ってみれば、生きるということに対するアンテナも低いのである。
 
 
 
 
じゃあどうするか。
若い時代を最高で唯一無二のものにするためにはどうすればよいのか。
 
 
 
アンテナを高く保つのである。
 
 
 
世の中には調べれば調べるほど得をすることがいくらでもある。
逆に、知らなければ損をすることもいくらでもある。
 
 
そういう情報は、得をしている人が得をし続けるためにおおっぴらにはされないが、調べようと努力した人のもとにはやってくる。
 
 
だから、いつまでも常識にとらわれて老後を楽しみにしているくらいなら、アンテナを高く保ち、手を動かすことがなによりも重要なのである。
 
 
 
そんなことを思う今日一日でした!
お目汚し失礼!