大学3年生の秋。
私は周囲の友人たち、そして全国の同級生と同じように就職活動をしていた。
取り組んでいたのは自己分析。
自分はどういうバックグラウンドで生きてきて、どういう風な物の考え方をするのかというのを書き出すのである。
そこから得られたことからどういった業界、業種の職業に就きたいか、その軸を決めるのだという。
アホくさ…。
人の考え方なんて、自分を取り巻く環境によって簡単に変わるじゃないか。
実際、中学生のころ、高校生のころ、大学1・2年のころと今では、考え方なんて大きく変わっているじゃないか。
心の中ではそう思っていても、やらなければ意中の企業には就職しにくくなるという。
誰がそんなことを言い始めたのかは知らないが、本当かどうかなんてわからない。
なら、やるしかないか。
世の中には建前というものがあるんだ。仕方ない。
そう思いながら自己分析を進めていく。
だが、思うようにはいかない。
それはたったひとつの質問にずっとひっかかっていたからだった。
「あなたにとって働くとはどういうことですか。」
友人たちは口を揃えて言う。
「自己実現のためだ。」
自己実現のために働く…?
本当に?
朝仕事に出かけていく父親の顔が、まったくうきうきしていないと思うのは自分だけなのか?
電車で見るサラリーマン、信号待ちのサラリーマン、みんな自己実現のために働いているようには到底思えないのは自分だけなのか?
生きるためだろ…。
そう。
人は生きるために仕事をする。
家賃を払うため、ご飯を食べるため、服を着るため、ちょっとした贅沢をするため。
これらをするには当然お金が必要で、そのお金を得るための手段として企業に就職し、毎日働いているのだ。
自己実現のための仕事に給料がついてくるのか、お金のための仕事に自己実現がついてくるのか、それは人それぞれ違う考え方があるだろうが、私にとっては仕事とは、働くということは、生きるためのお金を得る手段でしかないという答えは出ていた。
その考え方は就職をして2年ほど経つ今でも変わらない。
仕事のやりがいはそれなりにある。
だが、毎月決まったお金が振り込まれるためであるというのは変わらない。
自己実現?
そんなものはただのひとつだってない。
営業先に行って物を買ってもらうために頭を下げる。
クレーム先に頭を下げる。
上司に頭を下げる。
心の中ではベロを出しながら。
要は、別にどうだっていいと思いながら仕事をしているのだ。
それを自覚しながらも、直そうとは思わない。
早く帰ってゆっくりしたい。
頭を下げながら、早く終わらないかなとばかり考えている。
これのどこが自己実現だと言えるだろうか。
こうなりたいから学校で勉強してきたの?
今の自分の姿を小学生のころの自分が見たら、なんて言うと思う?
もし宝くじで6億円でも当たったら次の日には退職届を出す。
つまり、金さえあれば仕事を辞める。
これはほとんどの人が考えることではないだろうか。
でも、多くの人は仕事からでしか、働くことでしか、お金を得ることはできないと考えている。
しかしながらこの世には、仕事をしないでもお金を得る手段がある。
それを知ったから、私はそれを本気で追い求めるのだ。